Smily Books Blog 2023年7月更新中

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説 前野隆司(筑摩書房)

1.脳のニューラルネットワーク
(1)脳の無意識の処理は自律分散で行われる
 脳内の「小人」が処理を分担してやっているイメージで考えるとわかりやすい
(2)小人からみると運動をイメージすること(現実には運動していない)と実際に運動することに違いはない
 イメージトレーニング(無意識の「小人」たちにあたかも本当に運動をやっているように錯覚させることで、実際の運動でも同じような処理ができるようになる)
(3)オーグメンテッドリアリティ(augmented reality)
 仮想世界への没入感の増幅のこと(例えばスイスの山の画像を見て、自分自身がその景色の中に入っていくこと)

2.クオリア(qualia)
(1)語源はラテン語で「質」という意味だが、言葉では具体的に言い尽くせない
(2)心の質感として、生きていると実感できる状態のことで、小人たち(無意識)ではなく「自己意識」でしか感じられない
(3)総体的にまとめたエピソード記憶(出来事、思い出)でも何年もたつと膨大になるが、クオリアによりどこを強調し思い出しやすくするかといった索引付けができる
(4)「知」「情」「意」のうち、「情」がクオリアで用いられる(エピソード記憶の本の端を折ったり、しおりを入れるようなもの)

3.意識している「私」は常に受動的
(1)小人たちの運動準備指令(例えば指を曲げようとする信号)の方が、「意識」からの運動指令(動け!という信号)よりも常に早くスイッチが入る
(2)意識してから身体が動くのでなく、小人たちが活動した結果を受け取って、自分自身が「意識」(動け!という思い)が働いている
(3)常に「先に意識が働いてから運動している」というのは錯覚(誤解)であり、脳内処理の順番としては無意識のスイッチが意識より先に入る
(4)「私」(意識)が小人たち(無意識)をコントロールしているのでなく、小人たち(無意識)の働いた結果を「私」(意識)が眺めているだけと考えた方が納得できる

4.「私」(意識)は何のためにあるのか?
(1)「エピソード記憶」をするため(例えば、昨日の朝食を一つの出来事として総体的に記憶すること)
(2)小人たちが行った多様で膨大な処理を個別に覚えておくことできない
(3)我々は小人たちが行った無意識の結果の受動的体験をあたかも「私」から主体的に行った能動的体験かのように錯覚している

5.個性や創造性は心のどこが担っているのか?
 小人たち(無意識)(ニューラルネットワーク)のつながり方や線の太さ、信号発火のしやすさなどが個性、創造性であり、「私」意識)自身に個性はない